それは、ずっと昔に聞かれた疑問。
『お姉ちゃん、何でお兄ちゃんのかっこしてるの?』
『何で?』
『………それを、誰かに言っちゃだめだよ。三人だけの、秘密にしよう』
それは、ずっと昔の願い。
『お姉ちゃんのこと、気づいてくれる人がいますように!』
『お姉ちゃんがお姉ちゃんでいられますように……』
それは、ずっと昔の約束。
『約束ね、臨姉!』
『……契…(やくそく…)』
それが嬉しくて、笑った自分がいた。笑えた自分がいた。
『うん、ありがとう……約束、しようね』
それが、今もただ一つの救いだった自分が、いた。
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随分昔の夢を、見た。
「最悪…意識飛んでたか」
狭い、暗い、汚いと三拍子そろった、東京・池袋の路地裏。
そこでうずくまっていたのは、臨也だった。
「逃げてきたは良いけど…この足じゃちょっと無理だなぁ……」
足首…というよりは、腱のあたりをバッサリと切られている。切られた時はぶちっという音があからさまにしたし、叫ぶのを耐えるだけで必死だった。耐えた自分に拍手を送りたい気分である。ついでに、歩いて逃げだせた自分にも。
「九瑠璃と舞流…は、もう、来てるな。待ち合わせには大遅刻…失態だ……」
仕事が早く終わるからと、約束した買い物。もう少しで誕生日の双子の為に、何か買おうという約束だった。毎年、何があっても繰り返される恒例行事。その時だけ、『臨美』として、外に出る自分。
「メール…じゃ…ダメか…」
痛みか、失血のせいか、震えている自分がいた。まずは、もう少し遠くに。ビルを出てきて近くの一番狭い路地裏に飛び込んだだけで、周囲では自分を探す声がかすかに聞こえていた。パルクールを、自分の逃げ足を封じるために脚の腱を狙ったことだけは下衆だとほめてもいいだろう。
頭に取り付けていたかつらを外し、ナイフでずたずたにしてから、すぐ横のゴミの中に無造作に突っ込む。もちろん、いつも着ているコートも一緒に。
仕事仲間(所謂マッド)謹製のプロテクターを外して、これは折り畳んでズボンのポケットにつっこみ、最後にさらしのように下着の上から巻いていた包帯を取って、血を落とさないためと足に巻き付けた。
胸を押しつぶすタイプの下着と言えどつけておけと言ってきた妹二人に、今だけ感謝して、足に力を入れて立ち上がる。少しづつ、足を交互に引きづりながら歩いて、携帯を開く。
今回どころか、このままじゃこれから先、ずっと一緒に買い物なんてできないかもなと思いながら、短縮の三番目を押す。
命の危機と貞操の危機なら、迷うことなく、自分は先に死ぬ方を選ぶだろう。
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九瑠璃は、突然の電話に困惑していた。
電話の相手は、待ち合わせにいつまでたっても来ない姉である。
妹の舞流は門田達と話しているし、自分が出るしかないのだろうか。そう思いつつ、仕事で来れない。という答えは聞きたくないと恐る恐る通話ボタンを押した。
「……姉(お姉ちゃん)…?」
『あ、ああ、九瑠璃、か……ごめん。ちょっと、遅れ…て…』
「…?」
いつにないほど、それは焦ったような、苦しげな声だった。自分達にはそんな声も表情も出さずに元気にふるまってくれる姉が、どうしたのだろうか。そう思うと、何かに当たるような、倒れたような声が聞こえる。
「…姉(お姉ちゃん)…?!」
「?クル姉~?」
『だ、大、丈夫……じゃ、ない、かも』
何かを引きづるような音が小さく聞こえる。その声と、その音に、ただ直感で怪我をしているのかもしれないと、九瑠璃は思った。
「クル姉?」
「……姉…傷…(お姉ちゃんが…怪我してる)…!」
「えぇ!?ちょ、臨姉!?大丈夫なの?」
『舞流…?あぁ、ごめん。このままだと行けそうにない…今日…も…当分……』
なんと不吉な。
当分なんて、嘘だ。言いたいのは『ずっと』に違いない。
違い、ないのに。
「どうしたの?」
「狩沢さ…っ!臨姉、どこにいるの!?見つけるから、そこにいてね、お願いだから!!」
挙動不審になっている双子に近づいた狩沢は、その時心底驚いた。もちろん、少し遠くでそれを見ていた門田達も。
あの双子が、不安でいっぱいといった目をしていたのだから。
「お願い、手伝って!!」
「……姉…死…(お姉ちゃんが死んじゃう)…!」
ここで空気をあえて読まず、『お姉ちゃんって誰?』とは、誰も言わなかった……。
二人の迫力と言うか、鬼気迫るものが、有無を言わせず頷くことしか要求していなかったから。
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「………ん…」
『…臨、也?起きたか』
「…………セル、ティ!?」
妹達に電話したところで意識がなくなった臨也が目を開けると、そこにいたのはセルティだった。
よく見ると、自分はベッドに寝かされている。
「な、んで…俺……」
『お前のとこの双子と、門田達がお前を抱えて来た。足は…その、リハビリが必要だが、大丈夫だそうだ。それと……』
そこで黙るセルティに、まさか強姦されるくらいなら死んでやると思っていたのだが…そうなってしまったのだろうか。そうだとしたらすぐ死のう今死のう。そう思って近くに刃物はないかと視線をめぐらせていると、セルティのPDAに予想外の文字が表示された。
『その言葉づかいは、止めた方がいいと思う…』
「…は?……って、あぁ!っつ~~…」
『動くな!傷が開くぞ』
そうだ。自分でかつらも外してプロテクターやさらしも外して、この姿なら逃げ切れるかと思ってやったのだ。
違う意味で死にたい。まさかばれるとは……。
しかも、妹に加え門田達もいたということは、完璧にばれているということだ。
「…ねぇ、今」
「臨姉ー!起きた?大丈夫?痛くない?恐くない?!」
「……水…」
その運んでくれた人達はどこにいるの。と聞こうとした時だった。ドアをぶち破るかのようにして、その妹二人が入ってくる。
その後ろに、門田や新羅の姿も見えた。
「九瑠璃、舞流…」
「あぅー!良かった起きたぁ…。もう!場所を言わずにぶっ倒れるなんて、非常識だよ臨姉!探すの大変だったんだからね!」
「捜…星…(GPSを起動して探したけど…)」
「俺に携帯にその機能つけたのやっぱりお前らか……。まぁ、今回はそのおかげで助かったってことか」
「えっと…大、丈夫か?臨也」
「っ!え……えっ、と…ご、ごめん、何か……」
双子の姿に肩の力が少し抜けたらしい臨也に門田が話しかけながら頭に触れると、怯えたように臨也の肩がはねた。いつもしていることだというのに。
「かーどーたー。さっき説明したでしょ。この世の中には色んな人間がいて、臨也もその毒牙にかかりそうになったって。頭ではそう思ってなくても、身体はまだ恐怖を拭えてないんだよ」
「新羅…」
「岸谷…そうだったな。悪い。話すだけなら、大丈夫か?」
「…う、うん…」
そういうと、門田は少しだけ複雑そうな顔をしながらも手を頭から話した。
あぁ、心配させてしまったんだなと、思う。
「あ、じゃあ私だったらイザイザ平気?」
「狩沢さん…今あの中に行くことはお勧めしないっすよ…」
「そーのーまーえーに!臨也…でいいか、とりあえず。臨也は絶対安静だからもうしばらく寝るようにね。その間にできる説明は君の妹からしてもらうから」
「それでいいよ…。ほら、行っておいで」
「えぇ~…」
「どこまで言うかは自由…。ほら、寝るから行っておいで」
そういうと、渋々と二人は部屋を出て行く。普段わがままな分、こちらがこんな状態だとしおらしくて気味が悪い。心配してくれているのだとはわかるが、頑張って早めに復活しないと、ずっと不気味なままだ。
『寝ろ、まだ夕方だしな』
「…お休み…」
セルティはどうやら、自分が寝たのを確認してから行くらしい。そう思って目を閉じる。
今回の行幸は、あの喧嘩人形にばれなかったことだろうか。あの変に純情バカは、自分が女だと知れば絶対に喧嘩をしてくれないに違いない。
たかが性別、されど性別。
こんなことで、ちょっとした日常が失われるのは嫌だった。
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一方、双子から穴はあるものの説明をされた新羅達は、困惑しながらも状況を受け入れることにした。
双子からのお願いと言うか、要求は一つ。『誰かにこのことをばらさない事』。どんな情報網にのせることも許さないと、そうしたら完全犯罪を成立させるとまで、笑顔であの双子は言い放った。
その時のプレッシャーと言うか、オーラは…流石臨也の妹。と思うに相応しいものだった。
「…えっと、」
「……あれ、起きたのかい臨也」
「両隣でぐーすか寝られたら、流石に気付くよ…」
ギプスで両足を固定されているはずの臨也が、リビングでコーヒー片手にテレビを見ていた新羅と門田の元へと寄ってきた。よろめくそれに慌てて新羅が手を貸すが、臨也は新羅には怯えを見せなかった。
「…あれ?君、もう大丈夫になったの?」
「さぁ…でも、自分からなら触れるのかも。あと、君がセルティ一筋なのは中学時代からの常識だから、そっちの…怯え?よりも身にしみついているのかもよ?」
その予測を聞きつつ、新羅恐るべし。と門田は悟った。今更過ぎる気もするが。
もちろん、それは口に出さない。出したら新羅の演説が始まると知っている。
「何か胃に入れた方がいいよね~。あ、セルティが念のためって作っといたおかゆあるけど、食べるかい?」
「……新羅がいいなら食べる」
そこでこう返す臨也は、流石だろう。
「もう、起き上って大丈夫なのか」
「うん。まぁ、一番ひどいのは足の怪我だし…殴られたりはしたけど、これやられてすぐに逃げることを決めたしね」
多分、気を失った原因は貧血だろう。逃げるために色々と歩いたから、かなり失血したはずだった。
「ま、生きてたし、君の貞操の危機も免れたんだから良かったじゃないか。これで最悪の事態になってたら、君の妹二人は池袋壊滅させてたと僕は思うよ」
「……すまん、否定できん」
「…そ、うなの?」
そこまでだったとは知らない臨也だが、新羅や門田などは、手術中の不安そうな顔も知っているし、探している間、双子二人がお互いの手を固く握っていたことも知っている。
「明日、狩沢が着替え持ってきてくれるって」
「そこに関しては不安しかないんだけど…まぁいいか」
「あぁ、双子達が駅のロッカーに入れてた君の着替えだって。今日、帰りに取りに行ったそうだから」
「あぁ、ならいいや」
あの双子の、服のセンスだけは信頼している。狩沢に任せたらコスプレが出てくる気がしてならない。そこは、日頃の行いだろう。うん。
「まぁ、その格好してるのかを双子二人は知らなかったみたいだが…。それは、お前から話してくれるのか?」
「え、そこから…?まぁ、それは落ち着いてから話すってことでダメかな。無駄に長いんだよ、この話」
「まぁ、20年以上はこうだってことは、それなりの物があるんだろうしねぇ…とりあえず、名前は教えてくれるかい?その姿で臨也なんて呼んだら、何も知らない人は君が女装趣味持ちの変態だって思うことになる」
それはいやだな。と思う以前に、名前も教えてなかったのかあの二人。と、いつの間にか寝ている自分を挟んで寝ていた妹二人を叩き起こしたくなった。が、戻るのが面倒なので止めておこう。
「じゃあ、ま、とりあえず自己紹介…か。名前は、臨美。折原臨美って言うよ…。よろしくね」
そう言って笑った臨美に、二人は苦笑しながらも、よろしく。と返した。
あとがき↓
久しぶりに、静ちゃんが出てこないものを書いた気がします…。自分の中では、双子は性格とか結構悪いですが、根は案外いいイメージ(?)。で、お姉ちゃんというか、お兄ちゃんと言うか…臨也大好き。
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