「えっと……どなた、ですか?」
路地裏、傷だらけで、倒れていた臨也が目を開けて、最初に言った言葉はそれだった。
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「一時的な記憶喪失。かな。見つけた時、路地裏にいたんだよね。誰かとやり合って、まぁ、頭を殴られたか、パルクールを使って逃げる時に足を撃たれて落ちたかだね。ふくらはぎのところ、銃弾がかすったようになっていたから」
「……そう、か」
「他にひどい怪我は?」
「多分大丈夫だよ。臨也だし…。とりあえず、記憶が戻るまでは隠れてないと危ないね」
倒れた臨也を見つけたのは、門田達だった。
最初は静雄と久しぶりに派手に喧嘩でもしたのかと思ったのだが、明らかな銃創やナイフのようなもので切られたようで、すぐに違うと判断し、急いで新羅と静雄に連絡したのだ。
「静雄は今日、臨也とまだ出くわさなかったんだよね?」
「あぁ、昨日はあったけどよ…。あぁ、明日は面倒な仕事が入ってるから怪我したくないとかほざいてさっさと帰りやがった」
「面倒な仕事、か…それが分かれば犯人も割り出せるな」
「……あ、あの…?」
全員が殺る気満々で話し合っていると、隣の病室から遠慮がちな声が聞こえた。
そちらを三人が見ると、セルティに支えられて臨也が立っていた。
「臨也、もう大丈夫なのか」
「え、は、はい……」
「セルティ、どこまで話したんだい?」
『名前と年齢、ここにいる人間との関係と、職業までだ』
臨也が不安そうにきょろきょろとしながらも、いきなり勢いよく頭を下げた。
もう一度言おう。『あの』臨也が、頭を下げた。
「っ…!?」
「…へ」
「……い、臨也!?ど、どうした!?」
記憶を失っていても、どうしても普段の臨也と重ねてみてしまうので、それは三人にとっては軽く衝撃的な映像だった。ちなみに、セルティは説明している間に臨也の腰の低さに慣れたのかやれやれ。とした動作をした。
『これくらいで驚いていると、身が持たないと私は思うんだが』
「それどういう意味だ!?」
「え、ちょっとセルティ、まだ驚くべきことがあるのかい!?」
「あ、あの!」
「え?」
「すみません、怪我してたところを助けてもらったと聞いて…。ありがとうございました。あの、俺、帰ります。お世話になりました」
そう言って、臨也は足を引きずりながら玄関と思われる方向へ向かおうとする。
頭を下げたという事実に重ねて臨也が敬語を使ったという事実に混乱していたが、すぐにそれを抜け出して臨也の腕を取ったのは門田だった。
「ちょっと待て。お前、家への道は覚えてんのか?」
「あ、はい。なんとなく、ですけど……」
貴方方が誰か、は覚えてないのですが、家とか、ここがどこかとかは、なんとなく覚えてます。
そう言った臨也にではこの家は誰のだ。と門田が問うと、臨也は自信無さげに新羅とセルティを指した。
確かに、覚えては、いるらしい。
「…俺達が誰なのかは、分からないんだな?」
「はい。あの、セルティさんはお名前を教えてもらったので、分かるんですけど…」
…セルティさん。セルティさん!?
セルティを仰ぐと、困ったようにPDAに三点リーダが表示される。なるほど、身が持たないとはこのことか。確かに、色んな意味でさらに衝撃的だ。
「あ~…とにかく、君はまだ足の怪我が治ってないから、それが終わるまでは僕の患者だ。もう少しこの家にいてくれないかな?」
「…え…」
「それと、ちゃんと自己紹介もしないとね。あぁ、僕は岸谷新羅。で、君の腕を持ってるのが門田京平。で、この金髪クンが、平和島静雄ね。僕のことは新羅でいいから」
「え…あ、はい。新羅さん…。と、門田さんと、平和島、さん…」
その呼び名に、憮然とした顔でコーヒーを飲んでいた静雄がコーヒーを噴き出した。新羅が絶叫しているが、これは噴かずにはいられないだろう。とは、臨也を除いた全員の感想である。
「……とりあえずほら、座れ。この後どうするかを決めないとな」
「え、で、でも、帰…」
「見つけた時の状態だと、お前の命は狙われている可能性が捨てきれない。というか、狙われているだろうな。不用意に外に出ては死ぬぞ」
「あ、でも、皆さんに迷惑…」
いつもは平気で迷惑かけるくせに、記憶がないとこうなるのか。不気味なのでやはりいつもの臨也がいい。
そう思いつつ、門田は臨也を静雄と自分の間に座らせることにした。これなら簡単には立って出てはいけないだろう。
案の定、臨也は困ったように眉間に皺をよせていた。
「……しかし、新羅。記憶喪失になって、ここまで他者に怯えないものなのか?」
普通なら、明らかに病院ではないところであるというのに、臨也は怯えることも警戒心を見せることもない。
というか、静雄から食べるかと差し出されたクッキーをパッと喜んで頬張っている。……。
「臨也って、小動物系だったんだねぇ…。いっつもは猫かに見えるのに」
「……………新羅」
「冗談だよ、静雄。でもそうだね。臨也、君は俺達が怖いかい?」
「?いえ、恐くないです」
「どうして?」
穏やかな口調でそう聞く新羅を見た臨也は、セルティを見、門田を見、そして最後に静雄に顔を向けて、見たこともないような無邪気な笑みを浮かべた。
「っ!?」
「恐いというよりは安心します。絶対大丈夫だって」
にこーと笑う臨也に、本当にそれ以外の感情は見られなかった。
そして、そんな笑顔を至近距離で見た静雄は、手で顔を抑えて撃沈されている。
普段こんな笑顔なんて向けずに生活しているから、免疫ゼロなのだろう。他の人間もそうだが。
「そっかー。静雄のこと好き~?」
「しずお…平和島さんですか?」
「うん。そうだよ~?」
新羅は何となく、小さな子供に接している気分になって来た。腕を伸ばして頭をポンポンと叩くと、臨也は目を細めはするがいやがりはしない。
何となく、高校時代から臨也の保護者のようだった門田の気分がわかった気がした。
「で、どう?」
「おい、新羅っ…!」
「はい、何だか安心するので、大好きです!」
「っ…!!」
再び撃沈。
遊んでるなぁ、と傍観しつつ、もし記憶が戻らなかったらこの応酬のループなんだろうなとセルティと門田はため息をついた。
「ちなみに僕らは?」
「好きですよ?セルティさんはとっても優しかったし、門田さんも取っても心配してくれましたし、新羅さんも!」
「ありがとー。でね、記憶が戻るまでなんだけどね、臨也」
「はい?」
「君の助手には僕から言っておくから、しばらく池袋にいようね。で、君が『大好き』な静雄のところに、預けられてほしいんだ」
「はい!」
「ちょ、待て!」
反射的にか、子供のように元気に返事をした臨也に静雄がストップをかけるが、もはや教師と小さな子供な雰囲気を作り上げている二人の話は進んでいく。
あぁ楽しんでるな。でも、それが一番身の安全が保障されるよな。とは、セルティと門田が同時に思ったことである。ちなみに、現状を傍観して楽しんでいるのは二人も同じなので、止める気はない。
「臨也は良い子だね~。じゃ、頼んだよ静雄!!」
「よろしくお願いします。あ、でも、ご迷惑じゃ……」
「……。…………………い、や」
不安そうにこちらを見てきた臨也に、捨てられて鳴いている小さな猫を重ねてしまい、静雄、三度撃沈。
そろそろこっちに矛先が来るなと判断した新羅は、治療方法はこっちでも考えておくから。と言うと、静雄と共に臨也を帰らせる。
「………新羅」
「ん~?」
「お前、この状況をとことん楽しむ気か?」
「あはははは~。わかっちゃった?」
そう笑った新羅に、セルティからのきつい一撃がお見舞いされたのは、言うまでもない。
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「えっと、あの、すみません。俺やっぱり…」
「ふざけんな。新宿に帰る間に、今のお前だと殺されんだろうが」
「……はぁ…」
半ば追い出されるかのようにして新羅の家を出てきた二人は、静雄の家に向かっていた。とは言っても、静雄の行く方へ臨也がとてとてと着いて行っているだけなのだが。
「…手前はいいのか」
「え?」
「その…俺が、お前の記憶が戻るまで預かるってことに、不満はないのかよ?勢いで返事したようなもんだろうが」
「別に…その、不満とか、そう言ったものは、ないです」
そう言った臨也の顔は、ただ何も分からないという顔をしていた。それが静雄の言うことなのか、自身の感情なのかは、誰にもわからない事だが。
ただ、
「ただ、貴方といると安心するのは…本当です」
ただ、自分がこの笑顔に心底弱いということを、静雄はうずくまって唸りながらも痛感していた。
心配そうに臨也が顔を覗き込んでくるが、これは、ヤバい。顔をまともに見れなくなるかもしれない。たとえ記憶が戻っても、だ。
大輪の花がというよりは、小さく可愛らしい花がふわりと咲いたような、そんな微笑みに似た笑顔。
……とりあえず、臨也をぼこぼこにした奴らを見つけて、このやりきれない感情を発散しようそうしよう。
そうしないと、何だか大変なことになる気がした静雄だった。
ちなみに、記憶が戻ったのは、二週間後。
あとがき↓
いやー。静雄さんが記憶喪失になると本格的に臨也さんの餌付けになると思ったから臨也さんを記憶喪失にしたんですが…少女マンガになっちゃいましたね!!
でも、人ってギャップに弱いですよね。これくらいなら大丈夫ですよね…?!
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