池袋の街が、ある日を境にパタリと静かになった。
それは物理的な意味でもあり、人々が感覚で感じる意味でもあった。
自販機が宙を舞う回数も、ガードレールが引っぺがされる回数も、標識が折れ曲がって引きちぎられている回数も減った。
それと同時に、首なしライダーの姿を見る回数もいくらか減り、裏で大きな喧嘩が繰り広げられることも減り、そして、
「また君なの?困るよ…。自販機は君だけのものじゃないんだからさぁ……」
「……すんません」
街中を、警察官が普通に巡回するようになった。
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警察官も、もう慣れたのか諦めたのか、後で請求書をまわす。と一言告げて去っていくのを見送った静雄は、数日前まではこうではなかったなとため息をついた。
「よ、大丈夫か」
「トムさん…」
「警察も、まだ警戒してんだろ。何日か前に、池袋で大捕物があったって話だからな」
「……そうっすね」
一週間前、池袋の街は騒然となった。
夜の池袋の、その街中。とあるビルで派手な銃撃戦が起こったのである。
まるで映画のようなその光景は、ニュースと共に瞬く間にネットに流れ、同時に警察がその末に捕まえた、麻薬などの密輸を手掛けるブローカーの逮捕まで、警察の発表を待たずに流れたのである。
勿論、そんな大物。何処に仲間や部下がいて報復されるかわからない。警察官が池袋周辺を巡回しているのは、そのためでもあった。
本当は違うところにその理由はあったのだが、それを一般市民である静雄が知るわけはない。
故に、池袋の街は静かになっていた。
そして、もう一つ。
「そういや、最近見ねぇな」
「……トムさん」
「ん?」
「あの野郎のことは、できれば口に出さないでください」
俯いて顔が見えない静雄に、トムはため息をつきながらその肩を叩いて歩くことを促した。
「悪かった…。行くぞ、ヴァローナが待ってる」
「っす」
そう、毎日のように平和島静雄と『戦争』をしていた、新宿の情報屋の姿が、消えていたのだった。
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「そう言われれば、最近見ていないな、臨也の奴」
西口公園のベンチで、門田は静雄と話していた。
二人でコーヒーを飲みながら、何となしに狩沢達のヒートアップする論議を見ている。
「臨也がどうかしたのか?」
「いや、どうしたってわけじゃねぇが…。あの野郎がこんなに長く池袋にこねぇなんてあんまりねぇからな。やっとくたばってくれたか、何か企んで身をひそめてるかのどっちかだと思ってよ…」
実は、池袋にあまり来ないという日もあったのだが、静雄としては来ること自体が我慢ならないのでそこら辺を覚えていなかった。
「まぁ、俺に連絡は来ていないな。岸谷くらいには言ってるんじゃないか?」
「セルティに聞いてみたんだが、一週間前に大きな依頼を請け負っただけで、それ以来は何もないらしい。新羅もだ。事務所の電話は電話線ごとひっこ抜いてる可能性があるから、仕事で引きこもってるんじゃないかってよ」
「一週間前?」
そのやけに具体的で、そして今世間をにぎわせているニュースの日と合致するそれに、門田は眉間に皺を寄せた。
「何を運んだかは…聞いたのか」
「いや、教えられねぇって言われてな。セルティも仕事だ。相手がいくらあのノミ蟲野郎でも、そこら辺は守るらしい」
「……そう、か。まぁ、いいんじゃないか。しばらくは静かってことだ」
臨也がいようがいまいが、池袋の街はあまり変わりはしないと門田は思っていた。事実、静雄の力によって公共物が破壊される数が減ったぐらいしかないだろうと。
「…そう、だな」
それは、とてつもなく間違いだったのだけれど。
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粟楠会。
その事務所で、四木は先程送られてきたメールの内容にほっと肩を落としていた。その向かいにいるのは、粟楠会会長、粟楠道元。
「やっと、携帯を持たせてもらえたと、何とか一命は取り留めたと、本人から」
「そうか…。助手とか言う子から連絡は来ていたが、これでひとまず終幕。というところか。下への連絡はどうなっている?」
「警察がしばらくは街中をうろついているから、下手なことはしないようにと。まぁ、折原が居なくなったことで以前のように警察が介入しないという暗黙は無くなりましたからね…。喧嘩人形も、度々引っ張られそうになっていると」
「まぁ、そうだろうな」
この池袋で現在、臨也の『本業』を知り、現状を知っているのはこの二人だけだった。それを仲間はもちろん、家族にさえ話してはいない。
話した瞬間、粟楠会は消え去るだろう。
社会的にではなく、物理的に、だが。
「見舞い…と言っても、警察官僚に粟楠会の名で贈るのは無理だな」
「それでしたら、あれの妹が見舞いに行くとかこの間聞いたので、折原経由で連絡を取ってもらいました。持って行ってもらおうかと」
「そうだな。そうしよう」
池袋から、否、東京から、たった一人で数十・数百と言う人間をたやすく動かす情報屋が消えた。
消えた真相とその行き先を知るものは少なく、また、それを口にするものはいないだろう。彼が再び、この池袋に現れるまで。
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「あっれ~、静雄さんだ~!」
「…久」
「九瑠璃に舞流…。どうしたんだ、珍しく私服で」
公園を出ようとした静雄達の前に現れたのは、九瑠璃と舞流だった。
その姿は、いつものセーラー服と体操着ではなく、おそろいの可愛らしい、しかしどこか大人しいような服だった。
「これからちょっとね、お出かけなの!二人で。ね、クル姉!」
舞流がそう言って手元の籠を振り回すと、少し大きめのバッグを持った九瑠璃が頷いた。
「なんだ、ピクニックか?」
そう渡草が問うと、違うよ!と舞流が少し怒ったように眉間に皺を寄せる。
「……限(時間、そろそろ)」
「っえ、あ、嘘!えっとね、ちょっとお見舞いに行ってくるんだ。親戚の!じゃあね~!」
そう言って走る二人を、静雄達は呆然としながら見送った。
それを見て、狩沢がポツリとつぶやく。
「………そういえば、池袋の街が変わったって皆感じてる、けど…
あの二人は、いつも通りだよね」
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『…新羅、やはりおかしいんだ』
「?どうしたんだい」
『いくら仕事で籠っているとしても、あの臨也がここまで大人しいのは珍しい』
一方、新羅の家ではセルティと新羅がゆったりと過ごしていた。が、セルティの方は少し焦ったような戸惑いのある気配が漂っている。
「臨也の事だ、海外にポンと飛び出て諸国漫遊でもしているんじゃないのかい?」
『そうなったら、臨也の助手とか言う人間から連絡は来ていたんだ。たかが一週間だが、ここまで何もないのはおかしい』
一週間前、セルティは臨也から一つの依頼を受け取った。
それは、とある男の行動などの情報を臨也まで『運ぶ』という仕事。報酬は、今までにもらったそれの何倍もあり、封筒3つ分という破格の値段だった。
そして、その男は一週間前、警察庁と警視庁が全勢力をあげて逮捕したという、ブローカー。名も顔も、どんな些細なプロフィールでさえ誰にも知らせないという正体不明の男を逮捕したそれは、まだまだニュースでやっていることもあって記憶に新しい。
そして、臨也から報酬を受け取って別れたそこは、銃撃戦と言うに相応しいものが起こったビルの、すぐそばだった。
『まさか、臨也…』
「そうなったら、ちゃんとニュースで出るはずだよ。あのニュースだと捜査員数名が負傷、一名が意識不明の重体。名前はどれも出さなかったけど、臨也がそうなったらこっちにまで情報が流れてくるはずだ」
セルティは優しいなぁ。と言って静かに抱き締めれば、茶化すな。という文面が返ってくるものの、引きはがそうという気配は見られなかった。
「どっちにしろ、臨也がいないという事は少し大人しくした方がよさそうだね…」
どんな人間であったにせよ、新羅は臨也がいることである一つの秩序を理解していた。臨也がいることで保たれていたそれは、自分や粟楠会、そして静雄達が基本的に、今までの『日常』的に暴れたり仕事したりしようが、咎められずに過ごせるという秩序。流石に静雄は時折捕まったりもしていたが、それでも、普通はもっと厳しいはずである。
そして、臨也がいる限り、簡単にこの街の勢力図は変わらないという事実。情報を制御し、それによって街の流れを変えることで、臨也はこの街をある意味『外敵』から守っていたも同義なのだ。
それがなくなった。
それすなわち、無法に近くなったこの街に、『法』がしっかりと入っていくことを意味していた。
「まったく…何処で何しているんだか」
君が去ったことで、今の池袋は崩れ落ちそうな…危ういバランスを保つ塔だよ。
それでも、この街は新しい秩序を作ってまた動くのだろうと考えながら、新羅はそろそろ回診の時間だと、バッグを持って立ち上がる。
少し、目立たないように白衣は脱いだ方がいいかなと。早くも新たな、無秩序たる秩序に慣れるよう考えて。
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「イッザッ兄~!持って来たよ、本と、本と、本!」
「本ばっかりじゃないか…。あぁ、実家にあった奴か」
「そう!イザ兄の部屋にあった、心理学関係の本と、ミステリ小説と、あとは生物学系の本とー…」
「……………………なんつう乱読の仕方してんですか」
「やだなぁ正臣。ミステリを置けば、あとは犯人の心理。そして、解剖云々とか、色々と考えられるじゃないか。一応、俺は一貫性を持って読んでるよ」
東京警察病院。
そのとある一室は、今日も今日とて賑やかだった。
二人部屋を、病院側の配慮で一人で使っているそこは、窓際には切り花の入った花瓶があり、風でカーテンが揺れる。
交代でほぼ常駐している三人の為に、着替えや暇つぶしの為の物は勿論、となりの空きベッドは仮眠用にも使われている。
「ね、リハビリとかはいつから?」
「まだまだ先だってさ。予想より大怪我したしね。仕事復帰も先送り…。毎日寝てばっかりさ」
「それが怪我人のお仕事ですよ」
「……はい」
そういえば、波江は?と沙樹に問うと、今日は弟さんと会うとかで帰りましたよ。と返ってくる。
まさか池袋で会うのか。と思ったが、波江が自分の助手であることを知ってる人間なんて、ほぼいないし、声だけ知っている人間だとしても、そうそう分かりはしないだろう。
池袋の街はどうなったのだろう。毎日、非日常で溢れていたあの街は自分が居なくなったくらいで揺らぎもしないのだろうけれど、少しだけ気になるのも事実。後で、四木さんにでも聞こうと、臨也は考えながら外を見る。
絶え間なく騒がしかったあの喧騒が遠くなって、やっと終わったと嬉しい半面、少しだけ寂しい。
「あ~……静かだなぁ」
そう呟けば、子供達が元気に騒ぐのだけれど。
あとがき↓
そういうわけで、その後の池袋でしたっ!おまけで情報屋ファミリーと双子も。
場面がコロコロ変わって読みにくかったかなとも思ったのですが、色んな人を書きたいと思ったらこうなりました。
知っている人と知らない人の違いって、結構ありますね。この場合は、知っているからやれることや、対処方法を考えていた。という感じですが…。
ちょっと長くなりすぎました(^^;
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