それは、中学に上がってすぐの頃。臨也は、すぐ後ろの席から、細い、徒人には見えない黒い糸が、どこかへ繋がっているのを見つけた。誰にも悟られぬようにしながらも、臨也はその糸を、意識でするすると辿って行く。
ある程度まで行くと、それが小学生だったある時の夏、出会ったあの白衣の男へ繋がっていることを理解した。
あの男の、息子…?へぇ、結婚して家庭を持ってたのか。
臨也は、基本的にあの時あったあの男が今現在も、何処で何をしているかに興味は全くもっていなかった。
碌な人間ではないだろうと思っていたし、その身の内に飼っていたのだろう『何か』の匂いに、顔をしかめるのを抑えていた思い出しかない。
それに、あちらがこちらを見つけることは不可能だ。何かを心配することもなかった。
例えば、あの男が臨也があの日あの時遭遇し、言葉を交わした子供の一人だと知ったとしよう。
しかし、それはすぐに頭の中から消え去って行く。顔も、声も、何も残らない、残るのは、あの夏の日の言葉だけだ。
それでも、何かに書いていたとしたら?
答えは簡単だ、その言葉は、書いた先から消えていく。ふわりと文字は浮き、大気の中へ消え去るだろう。
誰かに、告げていたとしたら?
その答えも至極明瞭。声を出すことさえ許されない。徐々に男の回りから酸素は消え、どうあっても伝えられない事を理解し、思い知るだろう。
理不尽なように見えて、しかしこれは正当なる、平等な交換だった。一つの『心』を黙らせるには、『心』を差し出すのが相応しい。ならば、差し出すのは『心』がないことを望む人間である、あの男の『心』こそが相応しいと、あの夏の日にそう記したのだ。紙でも、データでもなく、その『心』に。
「………ねぇ、新羅って、珍しい名前だね。俺、折原臨也。えっと…」
「あぁ、新羅でいいよ。岸谷新羅さ。よろしく折原君」
「俺も臨也でいいよ。苗字ではあまり呼ばれ慣れていないんだ」
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息子から、前の席の少年と仲良くなった。と写真を見せられた時、森厳はふと、どこかで見たことがあるような気がした。
黒い髪に、紅い瞳。眉目秀麗を形にしたようなその少年は、少し意地の悪そうな、悪戯を思いついたような瞳で笑っている。随分と変わった少年らしく、中学校でも楽しい生活を送れそうだと書いてあった。
『折原臨也っていうんだって。珍しいよね!』
そう書かれたその苗字に、折原というのは、『あの』折原かと、妻が存命中に行ったそれを思いだす。変わり者で有名な夫婦だが、息子がいたとは知らなかった。しかも、同級生だ。
見事なまでに母親にだなと、父親譲りの紅い瞳以外のそれを見て頷くと、森厳はパソコンに向き合った。もう、興味は先日とった新たな薬のデータに向いている。
何故、最初に思ったその既視感がすぐに薄れ霧散したのか、そんな疑問さえ、森厳の中には残らなかった。
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「へぇ、ガスマスクの息子発見…」
「…何やねん、その変な言葉?」
京都・六楽園。そのロビーで、数人の子供が森厳が持っていたのと同じ写真を見ていた。
「ほら、あん時の、季節感丸無視のガスマスクの白衣のおっちゃん。こっちの眼鏡、その息子なんやと」
「へぇ…。あのマスクの下の顔知らんから、似てるとか分からんけど…」
「糸が見えたんなら、確実やろなぁ」
その糸は、契約の縛り。契約不履行の際、それはあの男が『保証人』として無意識に指名してしまった、息子に代償が行くのだ。まぁ、彼が結婚でもすれば妻に行くし、恋人がいればそっちに行く。常に、『保証人』の糸は動くのだ。
日本に5本はないその糸を、中学校で見つけたというのは面白い。
「次の夏休み、東京まで行って見る?」
「暑いやん。冬にしよ~」
そう言って、写真は仕舞われる。
彼らには、徒人には見えぬ『糸』が、写真の中であっても、しっかりと確認できていた。
あとがき↓
閑話っぽい過去話。もしかしたら新羅アブナイヨっ!て言うお話でもありますね。
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