生存報告です…一応、リアルに。
10日に急遽帰省して宮城におりまして、ツイッターをご覧になった方はもう知っているかと思いますが、先日、秋田に戻ってまいりました。
このような状況で家族を置いてきていいのかと思ったのですが、一人でも無事な場所にと親に言われ、現在地秋田です…><
個人的な感想ですが、一刻も早いライフラインの復旧が、やはり一番だと思います。灯りがあるだけで、何気ない日常だと思っていた一部が復旧するだけで、心に余裕や、もう少し頑張ろうという思いが生まれると思います。
拍手やコメントを下さった方、本当にありがとうございます。もう少し事態が落ち着いてから、返信などをしていけたらなと思います。また、家のネット環境も改善まで時間がかかるので(帰ってきたら震災の影響で回線が応答しなくなっているようです。)、お返事は遅れることとなるかと思います。申し訳ありません…。
学校のパソコンから、房藤でした。以下、少しですが、数日前のことを書き留めました。あくまで房藤のいた地域のことであり、一個人の私見でありますので、苦手な方はまわれ右で、お願いいたします。
少しでも書き留めて、後で何が起こったか、自分がどうしたかなどを思い出せるようにと思って書きました。
幸い、実家は沿岸部ではなく、テレビで見るような津波被害には合わなかったのですが、ライフラインがすべて停止となり、夏じゃなくてよかったと思う反面、冬特有の厳しい状況に置かれてました。石油ストーブとホッカイロの偉大さを思い知りました……。あと、ガスボンベ。カセットコンロって、偉大……。
テレビもつかず、かといって充電できない状況で携帯でテレビを見るというのもしにくい状態で、ラジオは本当に助かりました。あと、ガソリン。今も何十台もスタンドに並んでいますが、宮城では秋田との県境、一般道は通れるようになっているので、そちらまで走って、ガソリンを入れに行く方も多いようです。あと、秋田から宮城に物資を買って車で運ぶ方も多く見られました。
地震が起こった直後は現実逃避して「あれ、リアル絶○絶○都市…?」何ぞと思ってましたが、立ってられない地震を経験したのは初めてです…。震度…6、強?だったかと思います。近所の方に最初震度7と言われてその印象しか残ってません…。
帰る場所があり、家族が無事だというだけでとてつもなく幸せなのだと改めて感じております…。
窓ガラスというか、棚のガラスが、粉々にヒビが入って砕けているという状態を初めてみた時は本当にこうなるのかと思ったり、余震の中でどこまで片づけをしていいのか、また大きな地震が来た時の事を考えながら片付けてました。動いていないと、何となく不安であったというのが正直な感想です。
緊急地震速報のおかげで、倒壊する家からギリギリ出ることができた方もいたようです。また、橋に亀裂が入って段差が生まれたり、道路の亀裂に車が突っ込んでたり、地面から泥…だと思いますが、それが出てきている、液状化現象なるものも起きていたそうです。
私は避難所へは行かなかったのですが、近くの小学校の体育館に避難するのかと思いきや、そのすぐそばの公民館が避難所となったとも聞いています。小学校の体育館は耐震に問題があるとのことです。公民館のほうが古いと思っていたのですが、そちらの方が炊事場もあり、狭いですがご飯の準備にはいいのかもしれません。しかし、本来の避難所が使えないというのはちょっと危ないとも感じました。
また、私が住むところは川を挟んで南と北に分かれており、私は川北の方なのですが、南の方では北に比べて住んでいる人も多く、避難所に避難できずに自宅の外で暮らしている方や、トラックに食料などを持って、トラックの中にいる子なども見られました。また、コンビニやスーパー、ホームセンターなどに並んでいる人も多く、しかし店内も荒れている状況なので、店員さんが何がほしいのかを聞いて、店内と外とを走って行き来している姿も見られました…。
沿岸部の津波の影響などが多く報じられていますが、震度7であった地域はどうなっているのかも不安です…。
他にも色々とありますが、とにかく、一刻も早く余震が収まることと、離れ離れになってしまった人や連絡が取れない人々が出会えることを、願います。
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