それは、臨也が自主的、という名の強制退院をしてから、一月ほど経った頃だった。
家の事も出来ないので毎日部下や同僚によって届けられる書類をこなし、少しづつリハビリを始め、とりあえず、部屋の中なら動いてもいいと許可をもらえるほどになった、そんな時。
「こんにちわーっ!」
二人の少女が、その家へとやってきた。
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「そうか、今日日曜か」
「イザ兄酷いーっ!学生はお休みだよ~」
「…休…無(休みの感覚無いの)…?」
臨也の自室まで慣れたようにやってきた九瑠璃と舞流は、池袋からのお土産。と、露西亜寿司の特上を波江に渡す。
「池袋はどうなの?」
「不気味なほど静かだよっ!イザ兄が如何に人々に迷惑をかけてたか分かるね!」
「肯」
そう言って、二人は池袋の現状を楽しそうに語っていく。夏休みが終われば修学旅行もあるから、土産は何が良いかと聞かれれば、臨也も波江も何でもいいと苦笑しながら返した。
「…あら、そういえばそろそろ二人が帰ってくるわね。ちょっと行ってくるわ」
「はーい。あ、お前ら夕飯は?」
「あ、今日はね~静雄さんの上司が奢ってくれるって、さっき会った時に言ってくれたの~」
「…寿司」
平和島、静雄。
その名前に、臨也は少しだけ目を細めた。自分が居なくなった今、池袋の公共物破壊はましになっていることだろう。
そう思うと、寂しいのだか嬉しいのだか、少々分からなかった。
「…皆、元気、か」
「元気…だよ。イザ兄が居なくなって少しの間は、ちょっと混乱してたみたいだけど」
「……静雄…苛(でも、静雄さん…何だかイライラしてる)」
「そうだね、タバコ凄かったもんね~。あ、今もだけど」
「へぇ…、ま、俺にはどうでもいいことか」
そう言って肩をすくめれば、臨也の中から先程の、言い難い感情は風に吹き飛ばされたようにどこかへと消えた。軽いタッチでパソコンを操作して、メールをチェックする。
「…イザ兄はさぁ」
「ん?」
「池袋に戻ってくる気、ないの?」
舞流の、俯いて呟かれた言葉に、臨也だけでなく九瑠璃もまた驚いたようであった。そして、そういえば舞流は『情報屋』の折原臨也を、結構気に入っていたなと思いだす。
「何だ、お前は俺にまた『人、ラヴ!』とか言って平和島静雄に殴られに行けとでも言うのか?」
「そう言う意味で言ったわけじゃないけどさぁ…」
舞流としては、何だかんだで身近にいた兄が、池袋からも新宿からも少々遠いこの場所に行ってしまってから、物理的にも、精神的にも遠くに行ってしまった気がしていて、寂しいのだ。
池袋の街も、非日常が足りないと叫んでいる気がして、物足りない平和な、非日常が減った街が色褪せて見えて、好きになれない。
新宿に引っ越しても、臨也が池袋の日常である『非日常』の一角を担っていたことは明白だった。その大きな一欠片が抜けてしまえば、街は簡単に形を崩す。
「仕事の用事でいくかもしれないが、それ以外ではちょっとごめんだな。お前らに会う分には良いが、街中を歩いて面倒事は引き起こしたくないんだよ。もう切れた糸を、わざわざ繋ぎ直したくなんてないんでね」
「…兄…」
「九瑠璃も、覚えておけ。俺は仕事であれをやっていたにすぎないんだ。そりゃ、今の俺の人格形成には大いに貢献してる、なかなかに濃厚な八年だったと思うけどね…。それに今更、俺が池袋に行って何になるんだ。あそこには、今の俺なんて知らない奴がほとんどだ。騙したのかと叫ぶ奴、それがなんだと命を狙ってくる奴、数え上げたらきりがない」
確かに、そうだろうと九瑠璃は頷いた。
特に中学・高校の同級生だった新羅や、高校からの付き合いである門田に静雄は、騙していたのかというのかもしれない。新羅に至っては、少し、勘付いているところがあるかもしれないと臨也は昔言っていたが、真実を離していない時点で、『騙していたのか』と言われるには充分だ。
自分達だって、兄が一人暮らしすることになったと言われた時に両親から聞かされるまで、何も言われなかったのだ。
当然と言えば、当然なのかもしれないが。
「…兄」
「ん?」
「……潜、再、行(潜入捜査とか、またやるの)…?」
九瑠璃の言葉に、先程から俯いていた舞流も顔を起こして、ベッドの上にいる臨也を見上げた。
その二人にため息をついて、それはないよ。と臨也は上司の言葉を思い出す。
色んな意味で裏で顔…は兎も角名前も広まりまくったから、情報操作による、仲間の潜入の手伝いぐらいしかできないだろう。あとは、海外。なんなら整形でもしてみるかと冗談だろうが言われたので、そこはにっこり笑って奥さんにへそくりの場所を教えるに留めておいた。
「だから、まぁ…大丈夫だよ」
ごめん、ごめんな。
そう言って頭を撫でると、二人はやっと、諦めたのか頷いてくれた。
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臨也の自室を出た二人は、臨也に言われた言葉をぐるぐると思い返していた。
池袋にそう簡単に帰ってこれないなんてわかっていた。別に、情報屋に戻れなんて言わない。でも、やはり寂しいと思うのだ。
絶対にいなくならないと、そう思っていた人だから。そう、多くの人に思われていた人であったから。
「……無理矢理イザ兄連れてったって、イザ兄、多分素で返すよね…」
「肯。……乱(多分、皆混乱するだけ)…」
新羅なら、結構シビアな考え方もするし、理解はしてくれそうだ。だが、恋人のセルティは怒るだろう。兄になんだかんだいって優しかった門田も。
そして、静雄も。
でも、それは臨也の方から見れば…
「理不尽なこと言うなよ」
「「!」」
二人の言葉が、一瞬声に出たのかと思った。
いつの間にかついていた玄関。そこにいたのは、何故か兄がこの家に連れて来た、自分達より一つ上の少年。その横には、初めて会う、優しそうな少女の姿があった。
「…理不尽って何?私達はイザ兄の家族だもん。一緒にいたいって思うのは駄目なの?」
「そういうことを言ってるんじゃないんだけどな…。でも、臨也さんは仕事とはいえ、騙していたことに罪悪感だって感じてたんだ。それを、俺達より知ってるのはあんたらじゃないのか?」
少年の…正臣の目は、哀しみと苛立ちに溢れていた。
自分達が知らない事を正臣は知り、正臣が知らない事を自分達は知っている。
そして、正臣が知らない事は、少しづつ、減っている。
「それ、は…」
「理不尽なのは、平和島静雄とか、門田さん達が臨也さんに『騙してたのか』なんて叫ぶ事じゃねぇ。それを知ってたあんたらが今まで何もしなかったことと、そして、今更、やっと終わったことを無理矢理むし返そうとしてる事だ」
正臣は、もう会えないな。と、来神の卒業アルバムを見て笑う臨也を知っていた。そしてそれを、本棚の一番奥にいれているのも知っている。つらいのに、まだ、ちゃんと踏ん切りがついていないのに、蒸し返せば大変なことになるのだ。
臨也の上司から、同僚からも、それは言われたことだった。自分と沙樹に、臨也を見ていてくれと。あいつは結構精神的に脆いから、今崩れたら怪我を治すどころじゃないからと。
「あんたらが…周りが思ってる以上に、臨也さんのこと大好きなのは、分かる。知ってる…と思う。でもだからこそ、あの人が自分で池袋に行くまで、ちゃんと待ってやってほしい。仕事でも何でも、あの人が、自分で足を向けるまで…」
「正臣」
沙樹が、正臣の腕を掴んでその言葉を止めさせた。
それに気づいて正臣が先の目を見ると、もう言っては駄目。と視線で止められる。
「………私は、臨也さんが大好きだから、臨也さんが笑っててくれれば、良いと思う」
そう言うと、顔がそっくりな双子は、しかし違う表情をした。舞流は、泣きそうなほど寂しそうな顔に、九瑠璃は、寂しそうにしながらも、沙樹の言葉に頷いた。
「だから、貴方達が寂しいからって、池袋の人達がどう思ったって、臨也さんを池袋に行かせようとは、思えないんだ」
それがわかってるから、自分達からこっちに来てくれたんだよね?
そう言うと、二人は頷く。わかってはいたのだ。怪我が治れば、臨也は仕事詰めの毎日。池袋の実家になんて帰ってきてはくれないだろうし、帰ってこようとも思わないだろうことは。
だから、怪我をしてまだ家にいる今ならと、やって来たのだ。
我儘なのも、自分本位の、他人のせいにした自分本位の言葉だとも、知っていて、池袋に戻っては来ないのかと、聞いたのだ。
沈黙が流れる。
何となく口を開きづらい状況にどうしようかと正臣が考えていると、沙樹が場違いなほど明るい声を出した。
「………そうだ、正臣」
「…ん?」
「臨也さんを泣かせちゃったら、私達が慰めればいいんだよ。それなら、池袋に行ってもいいんじゃない?」
「はいっ?」
何をとんでもないことを。いや、確かに哀しそうにしてたら頑張って励ますけど?!
混乱した正臣と同様に、舞流達もいきなり何故そんなことを言い出すのかと目を丸くして驚いていたが、次の瞬間沙樹から出た言葉に、更に目を見開いた。
「だって、もう、私と正臣と波江さんと臨也さん。四人で家族、でしょ?」
にっこり。と、そんな声か音か分からないがそんなものが聞こえそうなほどの言葉に三人そろって固まった後、目一杯叫んだのは舞流だった。
「駄目っ!」
「え?」
「駄目だよ。イザ兄は私達のお兄ちゃんだもん!私達の家族だよ他の誰の家族でもないよ!」
「そんなの誰が決めたの?血の繋がりなんて意外と薄いよ?」
「私達が生まれた時から一緒にいるもん!薄くなんてないもん!駄目、絶対駄目ー!」
「時間なんて関係ないよ、私、臨也さんの事大好きだもん」
「私達の方が大好きだもん!!」
玄関先で、すぐにその言い争いは騒がしくなっていく。私の方が、私達の方がと言いあう二人に、やっぱり先は凄いなとため息をついて、先程の暗い雰囲気から復活させられた双子を見る。
……まぁ、そう簡単に『家族』の座は譲れねーよなぁ…
沙樹一人じゃ少し分が悪いかと、正臣は舌戦に参加することにした。
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「…………あのさぁ、波江」
「何かしら?」
「何か、玄関の方が騒がしいんだけど…何、新手の勧誘とか?」
一方の臨也の自室では、外からかすかに聞こえてくる言い争いに首を傾げる臨也と、臨也が処理した仕事のデータを整理している波江がいた。
「気にする事ないわ、子供達がちょっと論議を繰り広げてるだけだから」
「…はい?」
波江も何を言い争っているのかは知らないが、まぁ、臨也関連だろうとため息をついた。一方の臨也は、全くわからないと首を傾げて、パソコンのエンターキーを押した。
これで、今日の分の仕事は終わりだ。
「もしかして、あいつらまだ帰ってないとか?夕飯奢ってもらうとか言ってたし、間に合うように帰れって言った方がいいんじゃない?」
「あら、もうそんな時間?…そう、ね。電車のラッシュに巻き込まれるときついわね。ちょっと行ってくるわ」
パタン、と扉が閉まる音がして、臨也はため息をついた。
妹達が来るのは嬉しいが、あまり池袋を話題にしてほしくはない。懐かしいしそれなりには嬉しいが、やはり、哀しいのだ。
いつか会う日は来るだろうか。目を閉じれば、最悪の予想が脳裏を掠める。
情報屋の時もそんなことはあって、そんな時はあまり飲まない度数の高い酒をストレートで呑んで、落ちるように眠っていた。
「………臆病って笑われたら、どうしようかな…」
折原臨也らしくない。そう、嘯いて。臨也は夕飯までひと眠りしようと、眠る為に目を閉じる。
一人だったあの頃に比べれば、今はあまり、寂しくない。
あとがき↓
長くなった上にあんまりVSにならなくて済みませんっ!!折原兄妹の会話が予想以上に長くなりました…。そして、ギャグのつもりがシリアスに…。少しだけ明るいところも入れましたが、やはり、これがギャグのように明るくなるには時間がかかりそうです…。
正臣君はどちらかというとバンバン言って、自覚を促すタイプ。沙樹ちゃんは、諭して、理解させていくタイプ。ある意味飴と鞭…?
こ、こんな感じでいかがでしょうか…?壁|-;)
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