カタカタとデータ整理をしていた波江は、ふと、デスクに置かれたマグカップに気付いて顔を上げる。
そこにいたのは、雇い主でありここの家主である折原臨也だった。
「休憩したら?目も疲れてるでしょ」
「ありがと…。これが終わったら帰るわよ?」
「いいよー。今のところ急ぎの仕事もないしね。明日はお休みにするから」
そう言った臨也は、ついでとばかりに盆に乗った小さな皿を波江の目の前に置いた。
そこに乗っていたのは、小さなチョコレート色のケーキ。
「これ…」
「この間本に載っててさ、挑戦したんだ。食べてよ。で、感想教えてv」
「…えぇ」
綺麗に盛り付けられた生クリームが、ケーキ…フォンダンショコラの暖かさで少し融けている。ミントが小さく乗ったそれは、普通に見ても可愛らしい。
「…本当にあなた、器用ね」
「ありがとー。じゃ、俺仕事してるから」
そう言って自分のコーヒーを持って出て行った臨也を見届けて、波江はさくりとフォンダンショコラにフォークを入れた。とろりとした中のチョコレートが、生クリームと絡まっていて甘さもちょうどいい。
うん。普通に美味しい。
臨也は、その気になれば何でもできる。いつ来てもこの家は清潔だし、洗濯もしっかりとなっているし、料理も美味い。
欠点と言えば、仕事に集中するとそれらすべてをしなくなるということだ。しかしその間の家事なども、自分が来て手伝うことで少しだがなされている。
まぁ例外として、大事な資料は紙媒体と決めている臨也の部屋の書庫など、先日大掃除をしたら埃が大量に出てきたが。
あと、雇われてから知ったのだが、案外子供っぽい。
外に出ればウザいの一言で片づけられるそれは、どうやら職業柄のようで、飄々と、言葉を使って相手を操る術にすぎなく、家では仕事がない時など終始だらけて、甘えてくる小さな子供だ。
それが気味悪く思えないのは一重に顔がいいからだろうと波江は確信している。
「あれ、波江。もう食べ終わったの?」
「えぇ、ごちそう様。小さいからすぐよ、あれ」
「そう?」
だが、そう言うのも悪くない。と思うようになったのは、いつからだろう。つい最近かもしれないし、雇われてすぐかもしれない。
「あなたが女だったら、すぐに嫁に行けたでしょうね」
「はは。俺みたいな性格悪いの嫁にもらう奴なんていないって」
「あら、そう?」
弟にすべてを傾けていたベクトルが、僅かに分散されたのはいつ頃からだろう。
「私が男だったらもらってあげたわよ?」
「その場合、弟君は妹さんになってるだろうから、あんまり意味ないと思うよ…。俺」
おそらく自分だけが知っている、情報屋、折原臨也の、ちょっとした素顔。
池袋の喧嘩人形は、臨也のこんな顔など知らないだろう。殺し合っていたら絶対に知らない顔だから。
少しだけ、顔がゆるむ。
「?波江?」
「何でもないわ。コーヒー淹れるけど、飲む?」
「あ、いただきます」
コーヒーメーカーからマグへと移して差し出すと、臨也はニコニコとそれを飲む。これがホットミルクとかココアだったら、本当に子供なのに。あいにく飲んでいるのはブラックコーヒーだ。
そんなことを考えていると、何かを思いついたのか臨也はこちらを向いてにやりと笑った。
悪戯を考え付いた、子供のような顔。
「じゃあさ、俺が嫁き遅れ?ってのも変だな…。まぁいいや。そうなったら、波江が嫁に来る?」
「えぇ、いいわよ?」
「…………………へ?」
まさか肯定するとは思っていなかったのだろう。唖然とした口に近くにあったクッキーを放り込んで、波江はクスクスと笑いながら自分に宛がわれたパソコンに向かいあった。
「ちょ、からかったな!?」と、焦ったような声が隣室から聞こえるが、楽しかったので良しとしよう。今頃顔は綺麗に赤くなっているはずだ。
あぁ、意外と顔に出やすいと知ったのも、ここに来てからだったと、心に付け加えておこう。
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