ゴミ箱の次に標識を持ち出しているその男を見て、臨也はただため息をついた。
まったく、間が悪いというか。噂をすればと言うか。
「いぃーざぁーやぁー…てめぇ何で池袋にいやがる」
「やだなぁ、静ちゃん。今日はちゃんと理由があるんだから後一時間ぐらい見逃してよ。これがなくなんないと、俺帰っても甘いものばっかで胸やけしそうなんだって」
「あぁ?」
どすの利いた声と不機嫌丸出しで近づいてくる静雄だが、臨也は焦ることなく、ついでに、門田も避難しようともせず黙々とプリンを食べていた。
「門田さん!」
「ちょ、逃げないと危ないっすよー」
「ん?あぁ、大丈夫だ。静雄も食べるか?」
「………プリン?」
何を食べているのか、臨也の車らしきそれのトランクに積まれたそれが何なのかを静雄が理解したのは、フェンス越しに一メートルもないといったくらいの距離になってからだった。
既に、周辺の人間は門田以外避難済みである。
「臨也が作りすぎたと電話してきてな」
「新羅は出ないし、助手にやっても余ってね、ドタチンに頼んだの。静ちゃんも食べる~?これなんか自信作だよ」
そう言って臨也が開けてみせたのは、まだ誰も食べていないケーキの箱だった。中身はチョコレートケーキである。
「………」
「食べるんなら標識元の場所においてきなよ、他の人が困るだろうしさ」
「……おぅ」
「臨也、俺もそれは食べる」
「はいはーい」
ムスッとしながらも言われたとおりに、静雄は表札を元あった周辺におき、今度は駐車場の中に入って門田から少し間を開けて隣に座る。そして何も言わずジッと臨也の方を見ると、臨也も、門田もその意味がわかったのか苦笑した。
「んだよ」
「いや?」
「見てなくても分かるって。はい、どーぞ」
手渡されると黙々と食べ始めた静雄に、安全なのかと恐る恐る狩沢達が近づく。
「えぇっと…」
「あぁ、大丈夫だぞ。しばらく何もない」
「静ちゃん、食べてる間は静かだからねぇ」
「何か言ったか。おい臨也」
「いえ何も……って、もう食べ終わったの!?」
「ん」
仕方ないなぁと次のケーキ(ロールケーキ)を取り出すのを黙ってみている静雄に、何故こうなのかと門田を見る。
すると、門田は困ったように笑っていた。
「いや、俺達からすれば高校時代の日常風景何だが…あの二人が絶対に大人しい時間があってな。これがその一つだ」
何でも高校時代、臨也が作ったクッキーや菓子を食べている時の静雄はいたく大人しかったらしい。
ついでに、臨也も感想は言わないが美味しそうに食べているからとその時は大人しく、お茶をいれたり本を読んだりと、あれはつかの間の平和だった。
最初は毒でも入っているんじゃないかと思ったが、臨也の菓子作りを見て本当に楽しそうだったからそれはない。と静雄は以前語っている。
「まぁ、それで俺も新羅も美味い菓子を毎日食うことができたわけだが」
「毎日!?毎日これ…うらやましーい」
「ちょっと、作ってる方のこと考えてよね。こうすると静ちゃんが比較的大人しいからって、二年と三年で毎日作って来たのは俺なんだから」
「先生に頼まれてたな」
「まぁ、材料費はふんだくってたけど?」
学校側としては、窓や壁の修理費に比べれば微々たるものだっただろう。金を気にする必要がなくなったおかげで臨也のレパートリーが増えすぎたのも事実だが。
「臨也~」
「あぁっ、食うの早すぎ!ちょっと静ちゃん、ドタチン達のことも考えて食べてよね。無くなっちゃうじゃん!」
「わ、ちょっと待て、俺、それまだ食ってないぞ!?」
20を超えた男達がケーキをめぐってこんな会話をしているのは一種異様な光景だ。
しかし、確かに異様で異次元だが、平和でもある。
渡草達は当時の彼らの教師の心情を理解した。
「臨也、茶ぁ~」
「人使い粗いよね、完全に給仕やってる俺ってどうなの?」
「いつもだろう」
「わぁ、ドタチン的確な言葉をありがとう…。ほら静ちゃん、熱いから気を付けなよ」
「おぅ」
臨也が静雄に手渡したのは、小さな水筒に入っていた紅茶だった。
ということは、遭遇することも考えていたのかと、門田はコーヒーをぐっと飲み干した。
ケーキもそうだが、静雄はそれと一緒に臨也の紅茶も飲むのが好きらしい。
暇つぶしとはいえ料理が趣味の臨也は、絶対に変なものは混ぜない。これは高校時代に確定した事実である。
「しかしまぁ、あれだけあったのに結構減ったな…」
「余ったら新羅に一個持っていこうと思ったんだけど…必要ないかも」
新羅もなんだかんだ言って甘いものは好きだし、このことを知ったらしばらくうるさいかもしれない。
「新羅の分もあんのか」
「とっておこうとは思ってたよ。後で怒られたら怖いからね」
「……これとこれとこれとこれとこれ」
「うん、無難だね。詰め合わせて置いとくから食べないでね静ちゃん」
その言葉に無言で頷きながら、静雄はふと、思い出したように臨也を見る。
その視線に気づいた臨也は、嫌な予感を覚えながらもどうかした?と聞き返した。
「静ちゃん?」
「臨也…あれは?」
「あ…アレ?あぁ、あれね…。ないよ。持ってくるわけないでしょ」
「なんでだよ」
「や、なんでって言われても……」
再び、静雄の眉間が不機嫌そうに皺を作る。そういえば、レパートリーが増えた原因の9割5分はどこから調べてきたのかリクエストをする静雄だったなと、次の日辺りには出てくるそれを食べていた門田は回想した。
「作ってねぇのか?」
「え、や…あのさ、静ちゃ」
「作ってくるって言って結局持ってこなかったじゃねぇか」
「あれを常温でどこに置けっていうのさ」
「調理室の冷蔵庫」
「や、無茶言わないで。確かに調理室の冷蔵庫は半分俺のになってたけどさ」
「……何の話してるんすかね?」
「気にするな。今のうちに食べないと確実に静雄に食いつくされる」
「や、でも気になるって言うか…シズちゃんがイザイザのお菓子がここまで好きとは…美味しいけど」
「『折原が菓子を作ったら休戦』なんて言葉があるくらいだからな。作ってるの眺めて早くしろ早くしろって言ってたぞ、昔」
「わ、ママにお菓子作ってもらってる子供みた「頼むからそれを言うな」」
以前全く同じことを新羅が言って、その日から三日ほど、新羅の菓子がどこから手に入れたのか世界の珍味な菓子シリーズと化していたのだ。
陰湿かつ微妙だったが、毎日美味しい菓子を食べていた身としてはあの珍味はつらかった。
「おい、いーざーやー」
「あぁっ、分かった!今から持ってくるから勘弁してよもー!家で冷やして明日食べようと思ってたんだよ…」
一方、静雄の粘り勝ちらしい。折れて手で顔を覆った臨也に、あからさまに静雄が嬉しそうな顔をした。
こういう時、これは餌付けされていると言えばいいのか、それとも懐かれたのか、どういえばいいのか悩む。
「持ってくるって、何で?」
「車で。クーラーボックス片手に俺に電車に乗れってか。ほら、食べるの中断中断。ちょっと行って取ってくるから」
「……………じゃあ、いい」
「はぁ!?」
すたすたと元の位置に戻って再び食べ始めた静雄に、いったい何なんだ…。と臨也は頭を抱えた。
頼むからどっちかにしてくれ。
「ちょっと待ってろ。全部食べる」
「あ、諦めてはないんだ…」
どうやら食いつくす気らしい。
食べてくれるのは嬉しいが、これだけの量がなぜ入るのか。全く持って不思議である。
「で、俺も乗せろ」
「あ~はいは…ハイ!?」
「お前んちで食う」
「え、ちょっ…静ちゃん!!?」
どうやら決定事項らしい。
こういう時の静雄は絶対に譲らないし、さっき自分が折れたから、ココで拒否すると後が怖い。
「あーもー…その前に新羅の家によって置いてくからね」
「ん」
数年前と少し違うが異様なくらい平和な光景に、門田は確信した。
しばらく、いや、これから先間違いなく、喧嘩を吹っ掛ける姿は減るだろう。ついでにこの光景が増えるに違いない。
ついでに今日1日は間違いなく平和だと、懐かしく珍しい光景を携帯で撮って、門田はひっそりと笑った。
おまけ?:
「ところで、『あれ』って何すか?」
「あ、私も気になってた」
「高校時代食べられなかったってことは……ん?10はあるぞ」
「そんなに!?」
「まったくさぁ、静ちゃんもティラミス一つに何でそこまでこだわるかなぁ…」
「うっせぇ、食べてみたいと思ってたんだよ」
「お店の食べればいいじゃん。コンビニでも売ってるし」
「手前のがいいんだよ。それより前見て運転しろ」
「(相変わらずさりげなく凄いこと言うよね静ちゃんって…)はいはい」
PR